原爆ドーム(産業奨励館)

第二次世界大戦中に核兵器で被曝した、広島県に建つ原爆ドーム(広島平和記念碑)のイラストです。 日記
第二次世界大戦中に核兵器で被曝した、広島県に建つ原爆ドーム(広島平和記念碑)のイラストです。

あの痛々しい産業奨励館だけが
いつまでも恐るべき原爆を
世に訴えてくれるだろう

録画、フジテレビ ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点という番組を見ました。2025年8月8日(金)18:30~21:58放送されたものでした。

広島に原子爆弾が落とされ、亡くなった人が14万人。世界遺産の原爆ドームが取り壊しの危機にあったことも述べられていました。原爆ドームは、1915年、広島県産業奨励館(当時名称、物産陳列館)として開館しました。被爆体験した3人に1人は、見るのがつらい、と解体を希望されていたそうです。

ひとりの女学生の日記が、原爆ドームの取り壊しを救う 

しかし、当時、女学生の楮山かじやまヒロ子さん(1歳で、爆心地1㎞のところで被爆され、白血病で16歳で亡くなられた。)がしるされた日記の文章によって、保存されることになったそうです。その文章は、

あの痛々しい産業奨励館だけが
いつまでも恐るべき原爆を
世に訴えてくれるだろう

というものです。未来の人が、原爆ドームを見る時、その痛ましい記憶が必ずよみがえるだろうという切なる願いです。

楮山さんの同級生、寺田正弘さんらはビラを手作りして、原爆ドーム保存を呼びかける署名、募金活動を6年以上続けられたそうです。最初は見向きもされなかったけれど、メディアに報じられ、全国各地で応援され、1966年、永久保存工事が決定されたそうです。

ひとりの文章が多くの人々を動かしたのだと思いました。ブログを書きながら、文章をしるすこと、伝えることの大切さを強く感じました。同時に、同級生を思いやる気持ち、行動し続けることの大切さも知りました。

今、平和な国で生きていることに感謝し、二度と痛ましい戦争を起こさないことを願ってやみません。軍服。実家の片づけを通して

わが家の晩ごはん

鶏むね肉の塩麹焼き、キャベツ、こぼちゃとあげの煮物、ワカメのみそ汁。
鶏むね肉の塩麹焼き、キャベツ、こぼちゃとあげの煮物、ワカメのみそ汁。

簡単☆塩麹鳥むね肉焼き☆https://cookpad.com/jp/r/19691254

さて、今日もお疲れさまでした。
それでは、明日もよい一日をお過ごしください(^^)/

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